黒潮丸のガーデン読書録

 

書名:庭を造る人 著者:室生犀星 出版社:改造社
発行年月:1927 価格:− 頁数:−
読んだ理由:
30年以上も前にこの本を読んだ記憶がある。ただし読んだという記憶のみだ。現在この本を入手すべくもなく、「日本の名随筆<庭>」(作品社)の抄録を読んだ。


追記:古書検索の紫式部で調べたら、この本が1冊だけ大阪の古書店から売りに出ていた。しかし1万8千円では買えない。残念だ。02/06

読んだ日:2002/3
内容:
例えば「つくばい」に関する部分を書き抜いてみよう。

*****
わたくしはつくばいというものを愛している。形のよい自然石に蜜柑型の底ひろがりの月がたの穴をうがった、茶人の愛する手洗石である。庭のすみに置くか、中潜りの枯木戸の誓うに在るものだが、このつくばいの位置は難しくも言われ、事実、まったくその位置次第で庭相が表れやすい。わたくしは茶人や庭作人の眼光外にいるものだが、しかしこの位置だけは定石であるだけに踏み破るわけにはいかない。つくばいだけは背後の見透かしが肝心である。矢竹十四五本ばかりうしろに見せ、前石の右にひくい熊笹を植えるのもよい、とくさは手洗いにつきすぎて陳腐であるから、若しこれを愛する人があるならばこのつくばいから四五尺隔れたところに突然に植えて置く方が却ってよかろう。しかしつくばいとのつなぎのために砥草のわきに棄石がなければならぬ。・・・・・主としてつくばいは朝日のかげを早くに映すような位置で、決して午後や夕日を受けない方を調法とする。水は朝一度汲みかえ、すれすれに一杯に入れ、石全体を濡らすことは勿論である。その上、青く苔が訪れていなければならぬが、一塵を浮かべず清くしておかねばならぬ。
*****
眼光外にいる人にしては、よくもあれこれくしゃくしゃと言うものである。しかしこれぞ好き者の言である。

こんな一節もあった。
*****
或る客があって庭をつくろうと思うが、千円くらいで一寸したものが作れるだろうかと言ったから、わたくしは発句でも書くように、一枚の半紙に無駄書をして手渡したことがあった。
竹   (矢竹あるいはその竹)   五百本
飛石 (拍子木二本を含む)    五十枚
すて石                 三つ
茶庭灯篭 (利休がた)       一本
つくばい (大と小)         二鉢
山土                  十車
そして植木屋手間賃五十人分二百円は例外である。しの竹、七十円。飛石(くらま一枚五円見当)二百五十円。すて石、二百円。茶庭灯篭、三百円見当。(上物はあるいはむずかしい。)つくばい二鉢、百円。その他山土十車代等千円である。
*****
1927年の貨幣価値は? 千円を1千万円に読み替えてみたが、そんなものか、どんなものか。

室生犀星がイングリッシュガーデンを見たらどんな感想を洩らしただろう。ちなみにジーキルの逝去は1932年である。

この本に出ていることではないが、犀星は自宅から歩いてゆける場所に妾宅を構え、そこに本宅とそっくり同じ庭を作っていたという。 それこそ1千万円クラスの庭であったろう。一介の詩人によくそれだけの贅沢が出来たものだ。生前、家人はまったくそのことを知らなかったという。
 

TOP  ガーデン読書録表紙