私の花修行

これは何回かに分けて或るブログに書いたものを一つにまとめたものです。

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仕事としては石油会社の営業マン、趣味としては麻雀やらラグビーやらヨットやらで現役時代を遊び暮らした人間が、どういう修行をして花植え人になったのか、大方の皆さまのご疑問にお答えしましょう。

3つの大きな修行があったと思います。
1.ハンギングバスケットの勉強
2.ガーデンデザインの勉強
3.花の名前を覚えたこと

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1.ハンギングバスケットの勉強


1−1)カナダ体験
97年夏、アラスカからカナダまでヨットによるクルージングを行った。これはこれでわが生涯の大イベントだったのだが、そのカナダ到着港ヴィクトリアでのフラワー&ガーデン体験が現在の私に大きな影響を与えている。
長途航海の疲れを癒すべくヴィクトリアとバンクーバーでゆっくりと休みをとった。そこで個人の庭めぐりツアーに参加し、ブッチャート・ガーデンを見学し、街中に 溢れるハンギングバスケットに目を奪われた。後から知っことだがバンクーバー地区は世界一のハンギングバスケットの都市であった。
見ながら、歩きながら、是非これを伊豆で実現したいと思った。伊豆の気候なら1年中ハンギングをぶら下げられるのではないかと思った。伊東の駅や駅前通りに提げて伊豆をハンギングバスケットの街にしたいと思った。

そして伊東に帰ったのだが、さてハンギングバスケットを作るのに何をどうしたらいいのか、何の知識もないのであった。

1−2)伊豆ガーデニングクラブの発足
それより先、97年春ころより伊豆でオープンガーデンを始めたいと仲間作りの勧誘を始めていた。
かねての計画通りリタイア後伊東に定住したのだが、妻の様子がおかしい。要するに話し相手がいないのである。2日も3日も誰とも言葉を交わさない生活が続いたりしていた。これはまずいと思った。
それで妻の仲間作りのために、英国やNZやカナダで見たオープンガーデンを伊豆でやろうと志したのであった。
しかし反応ははかばかしくなかった。個人の城として囲った庭を一般に公開するとはどういうことか。どんな人が入ってきて何をされるか判らないではないか。不安ばかりが先に立って賛同者は少なかった。まだオープンガーデンの言葉に馴染みはなかった。
ともあれ一度声を挙げて集まってみようと伊豆新聞に呼掛けを出してもらった。ところが「オープンガーデン」ではなく
「ガーデニング」と出てしまった。そしていきなり50人も集まった。新聞も「オープンガーデン」を知らなかったのである。
こうして「伊豆ガーデニングクラブ」が発足した。50人以上ものクラブの運営は妻の手に余る。結局私が事務局を務めることとなった。98年の2月であった。


事務局長としてまとめ役になったはいいが、当時の私にはまるきりガーデニングの経験はなかった。
そもそも趣味の集まりでリーダーとなるのはその道の先達である。俳句でも踊りでも絵でも、なんでもそうである。そうであってこそ人がついてくる。経験がなく何にも知らないではクラブをまとめていくことは出来ない。
98年の10月からガーデニングクラブの中の有志でオープンガーデンを立ち上げたが、その運びに強引さがあったりして軋轢を生じ、一部会員の脱退騒ぎに発展した。分派の勧誘攻勢は激しく、当初会員の3分の1が脱会する事件となった。
誰もどういうものか判っていないオープンガーデンを日本で最初に始めるにあたり( たまたま岩手と仙台が同時期に発足したことを後で知ったが )、それほどお互いの思いの違いや疑心、不安があったのである。


1−3)ハンギングバスケット講習会受講
都会からやってきた人間が、何の経験もないのにいきなり大勢集めてクラブを作って主宰する。なんだこの男は。
伊豆に住んで長い人やガーデニング経験の長い人にとってはさぞかし鼻につく、むかつく行動だっただろう。造反もやむを得ないことであったと今にして思う。
その時私にあったのは<オープンガーデンをやろう>という掛け声だけだった。

さすがに向こう見ずの私も、何か技術や知識を身につけないとやっていけないと考えた。そこで気にかかっていたハンギングバスケットについて調べてみると、<ハンギングバスケット・マスター>という資格があることが判った。東京、名古屋、大阪では講習会があり、10回くらいの講習で25万円である。交通費を考えたら相当の額になる。
どうしたものかと考えていたら、清水市の花卉市場で講習会があるとの情報を得た。月2回、19時から2時間の講習が6ヶ月である。伊豆高原から清水市まで峠を越えて110キロの道のりである。
この12回を1度も休まずに通ったのであった。

大変勉強になった。なにしろベースが何もないのだから、すべて初めて教わることばかりであった。特に植物の生理についての勉強は今の私の植栽技術のベースになっている。貴重な講習であった。
この講習はグリーン・アドバイザー(ハンギングバスケット・マスターより幅広い知識を求められる上位?の資格)受験のための講習会で、講師のレベルも生徒のレベルも非常に高く、30人がほとんど休まずに通った。
一方で知識だけでなく、やはり清水市のハンギングバスケット・マスターのところに通って制作の実技に励んだ。これまたまったくのビギナーからのスタートでハードな体験だったが得るところ多かった。
こうして99年の秋に東京で受験し、ハンギングバスケット・マスターの資格を取得した。伊豆半島で第1号の資格者であった。

1−4)ハンギングバスケットに対する所感
こうしてハンギングバスケット・マスターとなり、近くの園芸センターとか花の会から講習会の講師を依頼されたりするようになった。しかし最近ハンギングバスケットに打ち込めない感じを持ち始めている。
カナダで憧れ、伊豆中に1年中ハンギング・ボールをぶら下げたいと夢見て始めたハンギングバスケットだったが、いざ実際にやってみるといろいろと限界が判ってきた。

ア.最大の問題は夏の暑さである。伊豆にはカナダの冬の寒さはないが夏の暑さがある。植物はこれに耐えられない。ましてバスケットに植え込むために土の量は少なく水の補給も難しい。
もちろん冬の花も難しく、年間通しての開花維持は予想以上に難問だった。

イ.吊るす場所がない。ハンギングバスケットは本来ボール状に咲かせた花を吊るすものだが、吊るには支柱か壁からアームを出したフックが必要である。安全な支柱を立てるには相当のコストがかかる。壁からアームを出す場合は相当の壁強度がないともたない。モルタル壁では吊れないのである。
このためわが国ではボールではなく半球にして壁に接して吊るすウオール・ハンギングが主流になっている。要求強度は半分以下になる。しかし私の意見ではこれは窓際に鉢を飾るのと本質的に変わりない。私はウオール・ハンギングは教えない。
そして
普通の民家でボール・ハンギングを吊るす場所はほとんど見当たらない。
アーケード商店街などでボール・ハンギングを吊るすとしても、日照を考えると車道側になる。新たな支柱も、アーケードからの支点も、自動潅水装置も、殆ど設置不可能である。
吊るした花に水をやれば、どうしても水が垂れる。公共の場ではこれも難しい問題だ。
ガーデニングショーの会場などを除き、JR川口駅の横の公園のボール・ハンギングが私の知る限り唯一の実地成功例である。

ウ.さいわい伊豆は土地の余裕がある。わざわざ窮屈にバスケットに植え込まなくても地植え出来るのである。伊豆ではハンギングバスケットはあまり流行らない。

しかしハンギングバスケットの勉強が私にとって強烈な花修行になったことは確かであり、ハンギングバスケット・マスターの資格制度に存在意義を認め感謝している。

試験会場風景と審査のための出展作品の写真を添付する。作品は3週間後の審査に合わせて開花するよう制作する。

 試験会場

 

 提出作品

 

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2.ガーデンデザインの勉強

2−1)英国通信講座の受講
ハンギングバスケット受験の翌2000年、英国のガーデンデザイン通信講座を受講した。
もともと私は栽培家ではない。珍しい花を集めたり美しく咲かせたりすることに関心は薄い。庭作り、ガーデンデザインや、オープンガーデンの組織運営が私の関心の対象である。

この頃の私はまだイングリッシュ・ガーデン一辺倒で、英国のKLCという講座に300ポンド送金して教材一式を送ってもらった。
ふむふむ。
270ページの教材を50日かかって通読した。

当然ながら課題提出がある。これがどうも気乗りがせず、また荷が重かった。
例えば<春の花壇に植える1年草のリスト15種を作成せよ。>とある。日本の花を15種選んで、学名を調べて送るのだが、英国とは環境も違うし流通品種も異なる。向こうからのコメントは役に立つものではなかった。
庭の平面図など、英語で作図するのはいろんな面で難しかった。

講座の
最後の課題は<尊敬するガーデンデザイナーを1人選んで、リポートを作成せよ。>というテーマだった。これは講座を通じての課題で卒業論文みたいなものであった。向こうは<ル・ノートル>とか<ランスロット・ブラウン><ガートルード・ジーキル>などを想定したのだろうが、私は<小堀遠州>を選んだ。日本のガーデンデザイナーとして遠州の名前しか知らなかったからである。
それからが大変だった。遠州のことなんて何も知らない。急遽小堀遠州に関する本を数冊集めて読んだ。さてリポートになるのか。
私は大学時代の試験リポート提出も、負けた者が全員のリポートを書く約束で麻雀をやり必ず勝つ(負けたら書けないから)という生活をしてきた人間である。学生時代以来リポートとは縁がない。
まして英語で書くなんてとんでもない話で、早々と諦めた。

こうして英国のガーデンデザイン講座は通読しただけでそのままになった。


2−2)伊豆ガーデニングクラブでの輪読
ある日、妙策を思いついた。みんなで読んだら否応なしに勉強するぞ。

こうして伊豆ガーデニングクラブの会員に呼びかけて「ガーデンデザイン勉強会」が発足した。メンバーは8人で、うち4人が翻訳を担当する。
勉強会当日は翻訳当番が訳してきた部分を皆で読みあい、課題を議論する。

皆さんもよくご存知の通り、英文を読み流すのと翻訳して日本語に定着させるのとでは雲泥の違いがある。翻訳当番は大変な努力をして勉強会に臨むのだった。
全体を4人で訳したから1人70ページ平均となる。毎月1回、2001年1月から9月まで、1回の休みもなく続けられ、無事に全体を読了した。途中ではめぼしい課題の作成、実地測量演習・作図なども行った。
10月、秋祭りの当日、街を練る囃子のざわめきを聞きながら伊東大和館で行った打ち上げの慰労会が忘れられない。

参加したメンバーに対して心から感謝と尊敬の気持ちを捧げる。そしてこんな企画を成立させた伊豆ガーデニングクラブにも深い尊敬の念を覚えるのである。

 KLCのテキストと我々の翻訳作品

 
2−3)パソコン作図
ガーデンデザインの通信講座を勉強して痛感したのは自分が画が描けないことだった。図面を描かなければならないのだがどうにも図面にならない。字が下手なのと同じように絵が下手である。
なんとかパソコンで図面を描こうと思い立った。

パソコンで作図するとはCADを学ぶことであろう。
しかし私は100万円以上(当時)もするCADソフトは買えない。なんとかもっと簡便に、安いソフトはないか。

調べて、絵を描くにはペイント・ソフトとドロー・ソフトがあることが判った。測量図、計画図など長さのある線分を描くにはドロー・ソフトがいいらしい。
ドロー・ソフトといえばアドビ・イラストレーターが定番である。8万円である。高い。
もっと安いのを探して、幾つかあったが、<G.Crew8>というのを探し出した。約4500円だった。そして入手し、試した。

なかなか良いソフトだった。私にも図面が描けるではないか!
思わず笑みがこぼれた。興奮して、たしかこのブログでも作品をご披露したのではなかったか。

2−4)オンライン・作図講座の開講
こんなに面白い、楽しいことはみんながやりたいだろうと思った。
そこでガーデンの植栽図をパソコンで描くオンライン・セミナーの開講を企画した。


さすがに私が先生になって教材を作るほど厚かましくなく、<G.Crew8>の練達者の中から協力者を募って教材作成を依頼した。
コンセプト作りは私である。ネットに載せるのも私である。オンライン・セミナーであるから印刷物は一切作らない。
教材の作成費用も獲得受講生1人あたり幾らの成果報酬制にしたから初期費用は少ない。
こうしてほとんど金をかけずに<PCCガーデンデザイン・セミナー>を開講したのだった。
思い立ったらすぐやる、手軽にやる、お金をかけない、のが私の取り柄であり、弱点である。しかし新規に物事を始めるのは実に楽しい。

結果としてこの講座は儲からなかった。教材作成者には申し訳ないと思っている。
受講申込みの少ない理由を次のように考えている。

ア)ターゲットの問題
ガーデニング愛好家、庭の平面図を描きたいと思う人は多いが、あえてパソコン作図を学びたいとまで考えるのはそれを職業にしたいと考える人のようだ。
その人たちにとって安直な4500円ソフトは却ってマイナス要因だった。せめてイラストレータークラスを使った方がよかったのかもしれない。操作を覚え習熟するには安いソフトでも同じ時間が必要なのだから。

イ)G.Crew8の問題
G.Crew8>にとって不幸なことに、そして私にとって不幸なことに、セミナー開始早々に<G.Crew8>の発売元が倒産した。<G.Crew8>そのものの実力は評価されているらしくすぐに次の発売元が決まったが、その後も二転三転している。これでは信頼を得られない。

ウ)安直さ
印刷物が一切ないというのも安直に過ぎたか。


2−5)ガーデンデザインその他
・RHSJほか幾つかのガーデンデザイン講習会を受講した。
・「日本ガーデンデザイナー協会−NGD」の<ガーデンデザイナー資格>を取得した。
・あちこちの(国内、海外)ガーデンデザインソフトを入手して研究した。
・ガーデンデザインや日本庭園に関する書物を多数読み漁った。「黒潮丸のガーデン読書録」
・たまたま「伊豆高原ドールガーデン」の花の植栽を任され、関係者や来館者から出来栄えを絶賛された。あえて<絶賛>と記す。

伊豆高原ドールガーデン入口

伊豆高原ドールガーデン平面図

その後、伊豆高原ホテル、伊豆高原教会、与那国馬ふれあい牧場 など

伊豆高原教会-チャペル

伊豆高原教会-花壇

与那国馬ふれあい牧場
ここに写っているのはアラビアンホース
フロント花壇
とりあえずユリを植えたが、苗が育ちすぎていて


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3.花の名前を覚えた

すべては名前に始まる。
ガーデニングを
始めた頃、訳のわからないカタカナ名前の氾濫に頭に来て、<生産者が思いつきで勝手に付けている名前など覚えてやる必要はない>などと強がっていたが、それではいけないのだった。とにかく名前は覚えなければならない。
ヨットの世界でも、艇の上には日常生活ではお目にかからない物がいっぱいある。すべて馴染みのない名前が付いている。新人のうち、その用語を必死で覚える奴だけがヨットに乗り続けることになる。覚えない人間は必ず消えてゆく。

3−1)名札を付ける
庭の植物には必ず名札を付ける。
これには異論のある人も多い。しかしそれは愚論である。名札は付けるべきである。

美術館で作品の脇に<作者、作品名、作成年代>を記した銘板が貼ってある。実はこれにも異論があり、美学上の1つの論点になっているのだという。「銘板による知識の先入観念を持たずに純粋に作品を鑑賞すべきである。」という唯美派の主張である。しかし銘板がある方がはるかに理解を助けると思う。

あまり名前を知らない人に親切に、物忘れし易い年寄りにも親切に、とにかく名札をつけよう。
知らない、忘れた対策だけでなく、地下越冬する宿根草は名札がないとどこに何があったか判らなくなってしまう。

3−2)植物台帳
植えた植物の台帳を作成する。
けっして栽培記録にしてしまってはいけない。一品物を育てる栽培家、育苗家は知らず、ガーデニング愛好家は簡略な台帳だけを付けるべきである。庭の何百種類もの栽培記録など付けられるものではない。NHK趣味の園芸で出している「園芸日誌」の「植物住民票」でも詳しすぎる。
<名前、植付け日、場所>が必要項目である。他に<購入した理由>を書いておくとあとから意外に楽しい。

なぜ必要か。
名札は風に飛ぶ。
台帳を見ていると、苗を買ったり貰ったりした時の気持ちが思い出される。

3−3)現在(2005・8)
2002年の春、庭に咲く花をすべて記録した。大変エネルギーを要する仕事で、とても毎年はやれない。
3月20日から5月20日の60日間に170種の花が開いた。毎日3種の新しい花が開き、そして消えてゆく勘定である。

この170種を記録する時、どうしても名前の判らない花が2種あった。
2種以外の花の名前を記録出来たことが私の自慢である。

 

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ここまでを2005年8月に書いた。

その後の進歩は?

 

追記−1998年、ガーデンオーナメントをイギリスから輸入して販売しました。ネットで見つけて欲しくなったのですが、重量物は通販では入手出来ないためコンテナー単位で輸入し、わが庭一杯に並べて殆ど売り切りました。その時売らずに残したものが、今庭にあります。あまりに手がかかって大変なのでやめました。

追記−2007・4
・PCCガーデンデザインセミナーの作図コースを閉鎖した−2006・3
・PCCガーデンデザインセミナーの基礎コースを公開講座とした−2006・4
・伊豆高原周辺の施設(ホテルなど)や個人の庭の、デザインや造園、植栽を依頼されるようになった

追記−2009・3
・全国の「日本庭園リスト」「バラ園リスト」「ハーブ園リスト」を作成し、公開した。

追記−2009・8
「寄せ植えの花選び」を公開した。

追記−2010・2
・<防草・透水ポット>発売
  Amazonなどで売ったが、防根性能に問題があるとの指摘を受け、素材を再検討中。

追記−2011・5
・「お庭・訪問記」のサイト開設。 同11月閉鎖。 モバイル対応でないと機能しないのに、その技術がない。

追記−2012・1
・PCCガーデンデザイン事務所として「ホームガーデナー」サービスを開始
 毎月定期的に訪問してお庭のアドバイスをするサービスです


 

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